2011年の読書感想文を原文ままでここに残す。
不条理なことは日常に突如として起こりうることである。それは予期しえない事故であったり、記憶に新しいところでは地震をはじめとする自然災害もそうである。不条理文学、つまり脈絡なく日常が崩れる物語の代表としてこの『変身』はあまりにも有名である。
この物語は父と母、妹と同じ家に暮らす会社勤めの青年がある朝、目を覚ますと毒虫の姿に変身しており、家族の今までの温かさもなくなり、終いには殺されなしまうという、いわゆるバッドエンドの物語である。
私は救いようのない話や、後味の良いとは言いづらい作品が好きでこの作品を読もうと決めた。この『変身』は文学史上でも有名であるし、著者のフランツ・カフカの代表作でもある。しかし、それにしては少々暗く、重く、あまりにも救いようのない話すぎるのではないかと思った。
何故これが、現代でも読まれ続ける名作なのか。
もちろん、作品が読みやすい長さであることも一因であるだろう。だが、それよりも物語の内容である。確かに陰うつで、突然の始まりに読者はあまり良い印象を受けないかもしれないが、話が進むにつれて、主人公のグレゴール・ザムザという人物がわかってくる。元々は家庭内きっての働き手で、家計を支えていたと思われる主人公が、何の罪もなく毒虫になってしまったことで手のひらをかえしたようにやっかい者扱いされる様はあまりにも酷く、誰もが同情することであろう。童話ならばここで魔法使いでも現れてグレゴールを人間に戻してくれるだほうが、そういうわけにもいかない。あくまで現実は彼を救うことなく、最後は、一人欠けた家族が何ということもなく妹の将来を心配して終わってしまう。
始めに述べたとおり、前触れのない出来事でもし自分が変わってしまったらどうだろうか。たとえ家族だとしても自分を支えてくれるのか。それは実に疑わしいことだと、この作品を読んで感じた。
最近、親による子どもの虐待の事件が多く思える。元は両親にとって宝であったはずの子どもがふとした親の気まぐれや、いらだちで暴力を受け、最悪、死んでしまう。まさに、子どもからすれば『変身』のような状況である。
児童虐待の例に取ると、「変身」したのは子どもではなく親なのかもしれないと思える。作中でもグレゴールだけでなく家族も変身してしまったのかもしれない。
この疑わしい家族との信頼というものが、長年にわたって『変身』を通じて問われているならば、悲しい事件の多い現代においてより読まれ、この「家族」を「友人」などに置きかえて今いちど考えてみてほしい。本当に「変身」してしまったのは、相手ではなく、自分なのかもしれない。
当たり前だが、16歳そこそこの人間がやっつけで書いた文章なので、改良の余地アリアリである。